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キリスト信徒やまひでの心の窓

キリスト信徒やまひでの心の窓

お庭での祈

「ゲツセマネの園でのキリストの祈り」

 十字架に釘づけられる前日、キリストは非常な恐れの心をいだいて、その庭でお祈りをなさった。
 主の心と、ボクたちの心の共通点がここにはあると思う。
 ボクたちは恐れや悲しみを克服するために、お祈りをすることがある。主のお心も、この時は、恐れや悲しみで一杯だったのだ。

 なぜかというと・・・・今、全世界の人々の罪が主の肩に掛って来ている。
主と同じ時代に生きた人々の罪だけではなく、未来の人の罪まで。
 極悪人よりも何億倍も凄まじい罪人のように、その刑罰を受けなければならないこと。これほどの烈しい苦しみが、この世にも、のちの世にもあったら教えてほしい。

 キリストの祈りの言葉「この杯をわたしから取りのけてください」(十字架の苦しみから逃れる道を教えて下さい)

 サタンが勝ち誇ったように、主キリストにささやくのが心に聞こえてくる。
「イエスよ、どうだ。お前は神の貴公子ではないか。あの極悪人や奴隷のための十字架に、お前が本当にかかるというのか。あれほどお前にふさわしくない所はないだろう!」

 イエス・キリストの心は、苦しみと恐れのさなかで、天のお父様に向かった。
 「お父さん、お父さん」と主イエスはご自身が子供時代に使った言葉で、お呼びになった。天の父の懐に、そのなつかしい言葉は響いただろう。

 「しかし、わたしが願うことではなく、あなたの御心が私のうちに成りますように」(キリスト)

 これはまぎれもなく勝利の祈りだ。イエスは、どんなにつらいことでも、父のお心だったら、お従いする事に決めておられたのだ。 
 神さまに結ばれている魂は、いつでも最後はこのような祈りで立ち上がるだろう。結局、父の心に従うことが最善の選択だ。そしてボクたちがそれを選んだときには、サタンはもう何もすることができない。
「立て、行こう」
 ボクたちも、御心を行うために、前進しよう。


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